読者の声,編集委員からの回答
読者の声

■読者の声
 「科学者の知見は、専門性を共有する者どうしの相互評価(ピアレビュー)によって、妥当性が担保されているとみなされてきました。しかし、それは基本的には科学の世界における妥当性であり、社会的な活動の場面での妥当性まで保証するものではありません」(本書177~178頁)とありますが、「社会的な活動の場面での妥当性」は保証しないまでも、「科学の世界における妥当性」については「ピアレビュー」によって、本当に「妥当性が担保され」ているのと言って良いのでしょうか。携帯電話からの電波と脳腫瘍との関係について、その疫学の評価そのものをめぐって科学者の間で意見が対立しているようであることからも、「社会的な活動」から生じる価値観から完全に中立でいられる「科学」は、ごく限られた分野にとどまるのではないかと思います。結局政治力?のある科学者たちの見解が「ピアレビュー」の世界でも幅をきかせているのではないか。その疑問が市民の科学不信のもとになっているのではないかと思います。

■編集委員より
 ご質問ありがとうございました.重要な質問であり,編者の間で検討した回答をお示しします.
 「専門性を共有する者どうしの相互評価(ピアレビュー)によって」評価される「妥当性」の中身とは何でしょう.科学者が学術論文を投稿し審査される場面を具体例として考えてみます.投稿された論文は,同じ分野の科学者(=ピア)が読んで評価をします.評価を担当する科学者,すなわちレビューワーは,論文にこれまでの知見とは矛盾する仮定や,誤った論理展開がないか,実験や観察の手法に問題点がないかなどを検討していきます.疑問点が出てくれば,その疑問への回答を投稿者に求める場合もあります.レビューワーは,論文全てを正確にチェックすることは原理的にできませんし,実際求められていません.
 たとえば,理論を中心にした研究の場合,理論式から別の式を導き出すこと,すなわち式の導出はとても重要ですが,これとて,審査する科学者(レビューワー)がすべての導出の正しさをチェックすることは,少なくとも物理学では審査の際に課されていません.実験の論文では、レビューワーが再実験をすることは費用、時間、能力の面からしてほぼ不可能ですし,そもそも再実験をしたとしても,全ての条件を論文投稿者と同じにすることは原理的に不可能で,再実験の結果が論文の結果と異なることも起こりえます.このように,理論・実験,いずれの場合も,レビューワーが気づく範囲内で矛盾が見当たらず,かつ,その雑誌に掲載することに「価値」があるとみなされた場合,審査する科学者は「掲載可」のレポートを編集長に送ることになります.
 ここで「価値」と書いたのは,審査で行うことは,論文内容の単なる間違い探しではなく,その論文に,その分野の研究を相応に発展させることが期待される新しい知見が含まれているかどうかを評価することだからです.言い換えれば,投稿された論文に問題点が見出されなくても,その論文に十分な価値がない,いわば当たり前の結果だけと判断されれば,論文は出版を拒否されることになりますし,逆に,相応の問題があったとしても,その論文の発見なり知見が,その分野を大きく発展する可能性があれば,その論文は受理され出版される可能性が高まります.
 その分野の発展とは,その分野が工学や医学など,社会との関わりが大きい分野であるほど,社会的価値との関係性が深まります.その社会的価値は,科学的事実で白黒がつくようなものではないですから,その分野の科学者,一般には専門家集団の価値観が反映されてしまうことは避けられません.
 このように,論文が受理されて掲載されるということは,その科学的内容の正しさを保証するものではなく,その学術分野として出版する価値があるかどうかによって判断されているものです.明らかに誤った論文は出版される可能性が低い一方,出版されている論文だからといって,そこに書いてある内容が正しいことは保証されていないのです.実際,科学者自身が論文を読む際には,そこに書いてある主張が本当に正しいのかどうかを,常に批判的な目で考えながら検討していきます.出版された論文に書いてあるから正しい主張だと考える科学者は存在しないでしょう.
 私たちの書籍で,「科学の世界における妥当性」と書いたのは,「科学的正しさ」の妥当性というものではなく,「科学の世界」の一定分野において,より具体的には評価を行った特定のレビューワーらにとっての,論文出版への「妥当性」判断の結果に過ぎないという意味です.質問で指摘頂いているように,その妥当性は,科学的正しさとイコールではないということは,とても重要なポイントだと思います.